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ILH代表黒部のブログ

ロボットという選択

 スタイリッシュな電気自動車テスラを世に出したイーロン・マスクが、これまたスタイリッシュなロボットを世に出す。先月紹介された動画を見ると、かなり完成度の高い動きをしている。プレゼンテーションではアマゾンの梱包作業をロボットが人の代わりにしていたり、ウーバーの代わりにロボットが配達作業をしていたりする。イーロンはそんな動画を背景にこう言った。「ロボットが人の作業を肩代わりし、人はもっと別の時間を楽しめるようになる。幸せな時間を増やせる。」と。私はちょっと待ってよ、イーロンさんと思った。もしアマゾンの梱包作業員が、自分のしている仕事に愛着を持っていたとしたら、ロボットの出現を歓迎するだろうか。アマゾンは広大な土地を開拓し、雇用も増やして来た。アマゾンだけではない。グーグルの下請けや、アップルの部品工場も同じように大きな雇用を作り出している。これがロボットに変わった時、人は別の時間を楽しむどころか、仕事を失い、別の時間は仕事探しに翻弄することになる。
世の中が機械化され、人間が行う全ての行動は便利になった。しかし人とは元来人と群れることで、そこに会話が生まれ、仕事以外の生きがいも生まれる。
日本でもペッパーロボットが話題になったことがあるが、結局は人間社会に同化はできなかったように思う。ペッパー君だけではない、ワンちゃんのロボットやウエイトレスロボットなど、人間の生活や活動を助けるという目的で社会デビューしたものの結局は機械で終わってしまったように思う。そもそもロボットが人間の代わりをするというコンセプトが私にはピンとこない。もちろん体に障害があり、ロボットの助けを得ることで生活が楽になるという例はたくさんある。これはこれで賞賛に値する。医療の分野でも人の形を持ったロボットではないが大活躍をしている。しかし人間が働きがいを持って仕事をしているところを、ロボットに変えてしまうのは人間から仕事を奪うことになるのではないか。産業革命は1760年から1830年の間に起こった緩やかな革命ではあったが、社会を劇的に変化させた。その時は「便利になった。」「早くなった。」「楽になった。」という、人間にとってはありがたい革命だったに違いない。それでも職を失う人は年々増加していった。人間はどこまで「便利」「早い」「楽」を追い続けるのだろうか。仕事は大変だけどやりがいがあり、これで家族が幸せに暮らせるのだという幸せへの営みは、ロボットの使い方を間違えると消えてしまうかもしれない。
ある人は言う。ロボットに仕事を代わってもらって、今までできなかったことをすればいい。この意見に私は賛成できない。簡単なことだが、ロボットの初期投資は高い。しかし企業が人件費の削減を実行しロボットを導入することで長期的にはコスト削減ができる。ロボットは定期的なメインテナンスは必要かもしれないが、給与、ボーナス、社保は必要ない。そうなると人を雇っているより長期的にはコスト削減になる。所詮人が人生を楽しむためにロボットが協力すると言うのは、ある程度蓄えがあり、毎日働くなくても食べていける人を対象とした非現実的なメッセージとしか思えない。
イーロン・マスクを全面的に批判するわけではない。テスラもかっこいいと思うし、彼のアイデアには面白い発想がたくさんある。ただどれもこれも一般庶民には中々手の届かない商品であり、それが場合によっては人間社会の格差を助長しかねない。世界の貧富の格差はどんどん広がる。きっと今の子供たちが大人になった時、日本も今以上に格差が広がっているかもしれない。Sustainableをどこの企業も打ち出しているが、皆これを「持続できる」と訳しているかもしれない。しかしそこには「耐えうる」と言う意味も含まれている。今のSustainable
では、後者の訳になりそうである。

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