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ILH代表黒部のブログ

Halloweenと100円ショップ

今年もHalloweenの季節がやってきました。日本も早いところでは9月頃からHalloween商品が並び始めている。特に100円ショップでのディスプレーは毎年大きくなっていて、今では本場アメリカを上回る勢いだ。ただ私には100円ショップでのおびただしいHalloween商品を見るたびに、ちょっと寂しい気持ちになる。クリスマスのケーキがコンビニで大量販売されるのと一緒である。もともとHalloweenはケルト人に由来する宗教的色合いの強い、秋の収穫と悪霊払いを目的に始められたお祭りである。これがアメリカに渡って宗教色は薄れたが、それでも幼稚園や小学校ではHalloweenの由来についてのレクチャーがあったり、教会でもそれにちなんだ法話がされたりする。子供たちもTrick and Treatといいながらお菓子を貰いにいくのと交換に、それぞれのお家でもよその子供たちにお菓子を用意しておくことをわすれない。また高齢者のお家では、子供たちの訪問を楽しみにしていて、家の外回りを飾り、ドアノブにHalloweenのデザインをほどこし、ピンポンするとおじいちゃんやおばあちゃんが大きなバスケットを抱えて出てくる。なんともほのぼのとした光景である。 さて、日本もアメリカの伝統に近いHalloweenを行っているところもあるが、ほとんどは100円ショップで購入した髪飾りや、マント、魔法のスティックなどで、とりあえずそれを子供たちに着せて携帯写真、お菓子はパンプキンのついているものならとりあえずOKといのが現状ではないだろうか。この100円ショップのコスチューム、非常によく出来ているのが、まったく個性がないので、これを着た子供たちの写真を撮ると、どの子も同じに見えてしまう、つまりコスチュームに着せられた子供たちという印象である。 今年ランゲージ・ハウスの幼稚部の保護者の方々にお願いした。幼稚部でのHalloween partyには、どの家族もオリジナルを着てくること、である。簡単なものではパパの古くなったネクタイを利用してパイレッツオブカリビーンのジョニーディップになれるし、小さなベイビーだったら、ママのハワイアンドレスを改造してリトルマーメイドでもいい。時間がなかったら黒いビニール袋を勝って頭が入るようにして、ブラックキャットでも十分だ。私も5人の子供たちを仮装させるのは大変だったが、長女はアクセサリーを首からたっぷり下げさせてジプシー、次女はオレンジ色のTシャツを着せて、中にクッションを詰めてリトルパンプキン、長男はパパのネクタイとスーツでサラリーマン、次男は浴衣を着せてお化粧して侍の息子、三女は黄色い毛糸帽子に黒いビニールテープをつけてハニービーとなった。どれも各安、かつ速攻にできたコスチューム、必要なのは創造力だけ。 Halloweenの思い出は写真がものをいう。せめて今年のHalloweenは、子供たちにとっては個性のある、そして将来、「そう、この時のHalloweenはパパとママが一生懸命コスチュームを作ってやったのよ。大変だったわ。」と言えるものにしたい。「そう、この時も100金から買って来ちゃったわ」よりは子育てのクオリティーが増すと思うのだが。

感性と運動のバランス

前回感性についての話しをしたが、今回はそれと平行して大切な運動力のお話し。但し運動能力ではなく運動力について。運動能力は各自能力の差がある。しかし運動力は毎日の決まったプログラムの実践で誰でもが鍛えらるものだ。幼児園児もしかり、運動力は鍛えることができる。よく「うちの子は運動神経が鈍くって、」とか、「何々ちゃんの運動神経はスゴイね」など運動会のシーズンになると聞かれる話題、でもよその子と比べられてる子供たちはいい迷惑なのだ。運動神経の良し悪しは生まれた時に大体決まているからだ。それをあたかも運動嫌いや内向的だからと決めつけてしまう。ときにはパパのせいにされることもあるから体育会組ではないパパ達がいいとばっちりを受けることもある。
さて、運動力である。ランゲージ・ハウス幼稚部では毎日朝の体操、軽いジョギング、ジャンプロープ、とお決まりの運動メニューがある。今年の4月から7ヶ月目、運動嫌いだった子供たちに笑顔がもどった。というのはできるようになったからだ。人間出来ないことをやらされて笑顔になれる訳がない。でもチョットでもできるようになると、知らないうちにウウフと笑顔になる。パパのゴルフもそんな時があるかと思うんのだが。運動力は毎日の継続で必ず伸びていく。語学力と一緒だ。そして何よりもほめてやること、他人と比べないこと。
アメリカの有名大学スタンフォードの入学審査にスポーツに関する欄がある。これはスポーツにどれくらい秀でていたかではなく、自分の好きなスポーツにどれくらい情熱をつぎ込んでいたかが問われる。私の友人が二人の子供を同校に送ったが、一人は兄はサーフィン、妹はヨガだった。日本でこんなことを書いても面接時の質問対象とはならないが、スタンフォードではサーフィンの滑りを良くするワックスにまで話題が及んだという。
我が子の運動神経が今一と思っている親はたくさんいると思う。この私も長男が運動音痴で運動会は見るに耐えなかった。でも主人とキャチボールをしている時のうれしそうな顔は今も忘れない。今はシェフとして活躍しているが、調理場での姿を見る限り、運動音痴には見えない。きっとキャッチボールで鍛えられた運動力が活かされているのかもしれない。感性と運動力がマッチングするとスーパーメニューが生まれる。感性を鍛え、運動力を高める、これは塾に行っても教えてくれない人生の大切なスキルである。

幼児期の感性の大切さ

昔、私の母が弟を週末音楽教室に通わせていた。まだヤマハが音楽教室を開いていないころの話で、小学校の先生が地元の子供たちの感性を養おうという思いから、自宅で始められたマリンバと打楽器の教室がそれだった。ピアノ教室はそこそこはやり始めていた頃だったが、この先生は小学校の鼓笛隊演奏にマリンバを取り入れていた。名前を秋山先生という。実は東京オリンピックの鼓笛隊を指揮した先生で、鼓笛隊では日本でも有名な先生だった。私も小学校で先生の鼓笛隊に参加した一人だが、とにかくリズムに厳しかった。日本の子供たちのリズム感が失われたのは、軍隊が行進を始めてからだという。私は軍隊行進そのものが鼓笛隊と似ていると思っていたのですぐには先生の言葉が飲み込めなかったが、小太鼓を担当している生徒達のスティックが太鼓の上で振動して、美しいビブラート音になるときに足を上げるのがもっとも美しい行進になるらしい。タン、タカタカ、タタッター、タン、タカタカ、タタッターと両足ぶみをしながらリズムを取っていくと、確かにビブラート音が聞こえて来て足取りが軽くなるから不思議だった。そんな鼓笛隊指導から、もっと子供たちに生の音楽をといって始めた教室だった。母を始め、たくさんの保護者が毎週末先生の自宅に通っていた。
各自に好きな打楽器や、上級生にはマリンバを打たせるのであるが、そこには必ずストーリーがあった。例えば「ペルシャの市場にて」というクラシック曲がある。シルクロードをらくだで旅する小隊の動きや、市場の様子などを音楽で表現する。もちろんペルシャの市場のことは何も知らない子供たちなので、先生はそのお話から始める。面白いし、まるで知らない世界を旅しているようだと母が話していた。子供たちもピアノの練習のように通わされている、やらせれているという意識がないせいか、先生の指示に従って自分が理解した物語を楽器で表現しようとする。先生曰く、どの音も一生で一度出せるか出せないかの音だという。
この音楽教室に通っていた子供たちの多くは大人になってクリエイティブな仕事についている。感性を鍛えられた成果を仕事に活かしているから幸せである。昔日本にも感性を大切にする文化があった。ところがいつ頃からか感性をやしなったところで飯は食えないという風潮が広まり、感性より技術を鍛えよということになった。しかし技術もあるレベルに到達すると、感性なくしては先に進めない。あるボルト屋のおじさんが「感性がないとこの特別なボルトは削れない」と言っていたテレビ番組があった。
感性は幼児期に大いに発達する。劇場に連れて行ったり、美術館に行ったり、自然の中を歩いたり、時にはレストランで美味しいものを食べるのもいい。無駄なこととは考えず、この先行投資が子供の大きな未来につながることを覚えていて欲しい。

運動会と競争心

運動会と競争心

運動会の季節、どこの園でも朝からビックショーにむけての練習に余念がない。
最近の運動会は保護者へのショー的要素が強く、ショーを完成させるために保育士も園児もかなりの努力を強いられる。もちろん運動会当日、一心にダンスを踊っている我が子を見ると感激もひとしおなのだが、ここでちょっと考えたいことがある。
アメリカでは運動会と呼ばれるものがない。せいぜいキッズオリンピックといっていろいろな競争をさせる。ポテトバックレース、ウエイターレース、障害物競走、リレーなどなど、勝ち負けがはっきりしている競技が多い。したがってリハーサルなどはなく、すべて打っ付け本番だった。アジアの国で見た運動会も同じで、競争に勝つと果物やなにやらわけのわからないガラクタをいっぱいもらえて、勝った子供の家族は自慢げに賞品を見せびらかしていた。
日本も昔の運動会はもう少し肝いりだったかと思う。幼稚園児が騎馬戦をやっているところもあったし、ハードル競争をさせるところもあった。お買い物競争も出遅れると何も残っていないという現実があり、泣き出す子供を見たこともある。そういえば最近では負けて泣く子が少なくなった。悔し泣きは子供に大きな成長を与えると思うのだが。
日本の若者が草食になったとか、日本は元気が足りないと言っているが、大きくなってからたくましく、打たれ強くなれといってももう遅い。小さい頃から、勝つこと、負けることを体験させ、その中で泣いたり笑ったり、運動会もそれを実践するいい機会かと思うのだが。お遊戯もいいが、これに没頭していると日本の子供たちはだめになることだけは確かだと思う。

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