ランゲージ?ハウスでは外国人英語講師の派遣を行っているので、いろいろな園や学校の方々と英語学習や、教育に関しては話す機会がある。また課外クラスとして行っているTravel Kidsでは、保護者の方々のディマンドを聞く事ができる。そこで今回のテーマはProgress つまり英語学習の効果をどうやって見極めるかということについて話したい。結論からいうと、英語学習の本当の伸びを1、2年で見ていく事は難しい。なぜなら何をして英語が伸びたというのかということである。例えばMonday~Sundayまでを言えるようになりました。
ところがこれをFridayから言ってみましょう。あるいはSundayはどんな日?という質問をすると週1回の英会話授業では、ほとんどの生徒が答えられない。
彼等にとってはMonday, Tuesday, Wednesday,は機械的な曜日で、それを先生が「はい、せーの、言ってみましょう」と大きな声で発音して、まねすることができても英語があまり好きでない子はお口をパクパクさせるだけである。
例えば水泳なら、早く泳げる、長く泳げる、バレーならフォームが決まっているなどと、目に見えるProgressがある。しかし英語はたとえ子供たちの口からいくつかの単語が聞こえて来たにしろ、それがしっかり身に付いていなければ早くて1週間、せいぜい2週間もたてば忘れてしまう。なので週1回の英語学習ではインスタントProgressしか聞く事ができない。そうなると、いったい私の子供は英語を習わせる意味があるのかということになる。まして家で英語を話してごらんと言ったところで子供たちは反発するばかり、増々英語学習に対する不信感がふくれる。実は同じ体験は私もしている。アメリカにいるときにかなり厳しく日本語を習わせようとやっきになった。日本語学校は週1回あるけれども、本人たちにやる気がないので上達は望めない。どうやったら上達するのかとそればっかりが気になり、それと同時並行で子供たちは日本語嫌いになった。
さて、Progressへの結論である。語学のProgressは、特に英会話はその学習そのものがProgressというほかにない。これは生き物と一緒で面倒を見てやらないと息絶える。週1回なら他の6日間家できちっと餌をやらないと消滅する。
毎日学校で英語ができるのなら、毎日が上達への階段ということだと考えてほしい。ちなみに日本語嫌いになった子供たち、毎日「アンパンマン」を見せる事で驚くほど日本語に興味を持ち始めた。そこをめざとく見極め、アンパンマンの本、教育ゲームなど、アンパンマン尽くめにしてやった。日本語は飛躍的なProgressを見せた。(つづく)
2014-01-31
ランゲージ?ハウスの目指す教育 2
さて、ホームスクールについて、アメリカで見て来た体験からもう少し話をする。ニューヨークでブルガリアから来たファミリーで出会った。奥さんはブルガリア航空のパイロット、ご主人は大学でブルガリア文学の非常勤講師をしていたが、英語でコミュニケーションをとるのはなかなか難しかった。娘のアナは一人っ子で、面倒はいつもご主人がみていた。アナが幼稚園に上がる年、夫婦はホームスクールを選択した。理由はアメリカの幼稚園の月謝が高すぎるということだった。たしかにアメリカでの幼児教育にはお金がかかるが、ブルガリア航空の幹部なら支払いに問題はないだろうと、私も興味本位でそれとなく聞いてみた。彼女いわく、幼稚園が月謝を払うに見合う教育をしてくれれば文句はないが、アメリカの幼稚園はカジュアルすぎてマナーもなく、自己主張はするが相手の話を聞く子供に育たない、と辛口の意見だった。
もうひとつホームスクールを選択したファミリーは、アメリカ人のファミリーでご主人はもと保育士、奥さんは夜クラブで働いていた。非常に教育熱心なファミリーで、将来子供をスタンフォード大学に入れたいという明確な目標を持っていた。ご主人がホームスタディープログラムを作っていた。良くできていて、毎週1回はメトロポリタン美術館に通い、パパによる水泳レッスンランニングと体を鍛えるメニューも組まれていた。またセントラルパークが子供たちで込み合う時間をみはからって、集団の中で遊ばせることをも実践していて、実はこの家族子供が3人いるのだが、一人はベビーカー、一人は歩き、一人はパパの背中におぶわれての公園が通いだった。さて、ふた家族とも子供たちが小さい頃のホームスクールは順調そうだったが、年長ぐらいの年になるとそう簡単ではなさそうだった。ブルガリアの方はアナが友達を求め始めていた。語学力ある子で、英語が今一のパパと過ごしていても、テレビなどの影響なのか、英語でのコミュニケーションのできる子だった。でもアナがもっと遊びたくても、幼稚園の子供たちとの接触は外遊びの時ぐらい、パパとお家に帰りたくなくて、よくだだをこねていた。アメリカ人の方はというと、夫婦の離婚だった。この現実によってご主人の教育モチベーションが低下してしまったようで、以前のように勢力的には子育てしていない感じを受けた。
ホームスクールは親の意思で選択されるものであるが、この二つの例のように、これもまた親の都合や、子供の精神的成長の変化についていけないことが様様にしてある。その後、ふた家族の子供たちは、私の子供たちと同じ幼稚園に入園してきて、まるで水を得た魚のように元気に集団になじんでいた。
私がアメリカで見たホームスクールの実際は、朝日新聞に書かれているようなホームスクールを個性的なものとして肯定的に取り上げる記事を鵜呑みにしないでくださいという思いがある。個性的とは集団の中でこそ、魅がかれ光っていくものだと考える。子供の教育は、彼らが社会に出たときに困らないよう、また役立つための基盤を作り、その上に個性を育てていくことが、より現実的だ
2014-01-20
今朝日新聞で「世界は日本は」というサブタイトルで、世界の新しい教育に関する記事が連載されている。1月5日付けの記事で、「望む学校 市民が作る」という記事があった。デンマークでは、子供を通わせたい学校がない場合、親たちが「フリースクール」を自由に作れる。公立と同等の学力をつけることが求められるらしいが、運営費の7割を政府が助成するので、授業料も公立校とさほど変わらないという。
私の住んでいたアメリカでも「チャータースクール」というのがあった。既存の教育にとらわれず、授業の時間やカリキュラムを自由につくれる。出資はその教育内容に賛同する親や、企業などからの寄付金が主になる。また「ホームスクール」といって、カリキュラムを親が自由に組み立て、住んでいる町から許可を得る。インターネットを使って、公立校からの授業をオンラインでも受けられる。以前は交通機関のない僻地で、学校に行くまでに何時間もかかる子供たちがホームスクールを受けていた。今でも、オーストラリアなどでは、アイスクリーム一つ買うにも車で40分以上走らなければならないような田舎に住んでいる子供たちの多くは、地理的な理由からのホームスクールが一般的である。ところが今、フリースクールを選択する理由は、地理的要因から、親や子供のディマンズが要因となっている。子供や親が既存の学校に満足できなかったり、また共同生活になじめない子供たちの親がホームスクールを選択する。
日本でも不登校になった子供たちのためのフリースクールはあるが、公的には認められていない。
ただ、である。私自信はフリースクールに諸手を上げて賛成できない。
なぜか、それはアメリカ在住時代にたくさん自分勝手な子をみてきたからである。
ランゲージ?ハウス幼稚部の教育方針の柱である「自分力」これは自分だけの力
や、個人行動から生まれるものではなく、他人との共同生活の中で培われるものであり、本人が自覚していっくものである。もちろんフリースクールを選択したすべての子供たちが自分勝手なわけではないが、行きたいときにトイレにいき、コーヒーマグ片手にノートをとる。起き抜けの髪の毛もじゃもじゃ姿でも、パソコンを前にした授業なら受け入れてくれる。好きなことはするけど嫌いなことはしない。こんな環境で育った子供たちが社会に出たときに受ける衝撃は大きい。現実の社会はフリースクール出身者にきびしい。すべての人が自分と同じ趣味ではない、好きなときにすきなことばかりはさせてくれない。フリースクールでアカデミックな知識は養えても、社会人としての社会性は人間社会で生きていく限り必要不可欠と考える。(つづく)
2014-01-10
2014-01-01