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ILH代表黒部のブログ

「小学生に英語教えて国滅ぶ」の記事

「小学生に英語を教えて国滅ぶ」の記事から

ランゲージ・ハウス幼稚部の卒園式が3月17日、入園式が4月9日に行われた。卒園式は外国人講師が紋付袴、日本人保育士は袴姿で列席する。今年は年少々からの4年間をランゲージ・ハウスで過ごした卒園児が多く、私にとっても感慨深いものだった。特に英語で外国人講師とコミュニケーションできるようになり、同時に日本語で日本人保育士とコミュニケーションをとる様子を見ていると、取り組んできたバイリンガル教育の進化系を垣間見ることができ、あと小学校の6年間があったらどんなにすごいことになるのだろうと思いを巡らした。卒園児を送り出すのは今年で4回目になる。小学校での英語環境の現実を聞くと、せめて卒園児たちの為になんとかしなくてはと思うことしきりである。ここは考えてばかりでは何も起こらないので、計画と実行あるのみかと思っていた矢先、文藝春秋を見ていたら「小学生に英語教えて国滅ぶ」という聞き捨てならない記事が出ていた。作家で数学者の藤原正彦さんの記事で、ご本人はケンブリッジ大学で学ばれた経験の持ち主、一体何の根拠があってのご意見かと記事を読んだところ、藤原さんの懸念は「教養なき世代」が現在の日本のリーダー層の中心になりつつあるというところからの心配であった。つまり政治家も財界人も発言が近視眼的で人間的な深みがないというのである。そしてその原因の一つが読書離れ、日本語離れという考えである。藤原さんは知り合いの商社マンの例をあげ、ロンドンで取引先の家に招待され、縄文式土器と弥生式土器の違いを聞かれ答えることができなかったという話から、国際舞台で活躍する人材を育てるには英語よりもまずは教養という意見である。また英語で大切なのは「英語をどう話すか」より、「英語で何を話すか」が重要であるとも言っている。そしてこれらを前提に、文科省が計画している総合的な学習の時間から計画のないままに15コマまでを外国語活動に使うことの危険性を懸念しているのだった。ただ藤原さんが言っている初等教育の段階で英語は必要ないという考えは多少時代遅れのように思える。確かに教養を入れる器は初等教育で作られるが、英語をニュアンスで理解できる力も早いうちからの方が望ましい。先にあった英語で何を話すかを目指すなら、英語のニュアンスを理解できることが大前提となる。これを中学や高校まで先送りにしていると、英語でどう話すか、つまり「これって英語で何ていうの?」からの始まりとなり、40年前の日本の英語塾的教育からは確実に脱皮できない。ランゲージ・ハウス幼稚部を設立した時に藤原さんと同じく、人間的教養無くして、英語を入れるのは無為に等しいと考えた。この考えは今でも変わっていない。ただ社会が英語に求めるニーズは年々変化している。人間の話す英語の役割がAIにとって変わる時がくるかもしれないが、だから今英語をやっても仕方がないとは思わないでほしい。英語をやっていたからこそ、将来AIとコラボできる仕事の方が多いと考える。その時のためにも早期英語教育の意義は大きいと考える。

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